素朴な毎日、感じたこと、考えたこと、ひとりごと、備忘録
Posted by chika - 2008.02.08,Fri
チュニジアでは、家族同士だと大皿から直接スプーンや手を使って食べます(小皿は使いません)。お客さまには、レストランのように一人分を皿に盛り付けて出します。
最初の頃は家族の一挙手一投足を観察しながら食べてました。
そして気づいた法則その壱。それぞれの陣地がある、ということ。目の前の自分の陣地のみを食べる。
手を伸ばして、他の陣地のものを食べない。たとえ自分の陣地外に美味しそうなキャベツがあっても、手をぐいぐい伸ばして食べてはいけない。

うまくできているなぁと思うのは、食べ始めてしばらく経つと、自分の陣地にキャベツを擁してる人が「あなたもキャベツ食べなよ」と、隣の陣地に投げ入れてくれる。そうやって、みんな自分の陣地の具を他の陣地に分け与えていく。
そして、肝心なのが、肉。最後まで肉には手をつけず、大きな肉をみんなで譲り合った後、結局年長者が皆に肉を分け与えて食事をシメる、といった感覚です。
聞けば、同じ北アフリカのモロッコでは、ちょっと礼儀が違う。
それぞれの陣地があるのは同じだけれど、陣地の具を交換することはないそうです。たとえ自分の陣地に具が少ないとしても、それは「アッラーの思し召し」ということになるんだそうです。
日本のお箸の作法を教えると、「何故!?」とよく聞かれます。「どうして迷い箸が駄目なの?」とか。
こっちに来て感じるのは、何事も日本は相手との対峙、イスラムは神との対峙なんだなぁということ。
わたしたちは相手の方が不快にならないように、無作法ははしたないこと、相手の意に重きを置くというか。
イスラムは常に神の絶対的な存在を感じて、畏怖の念を持つ。相手に何かをしてもらったときでも、感謝の気持ちは神に捧げられる。「神様のおかげです」と。
この違いはとても大きい。本当に大きい。色々な場面でこの違いが顕著に出る。
大切な約束をするとき「神様が望むなら行くよ」と言われると、目の前にいる自分に失礼じゃないかと思ってムカッとくる(あなたが来ようと思えば来れるでしょうが!)。変な三角関係が生まれます(笑)。
チュニジアに道徳的教育が少ないのは「何事も日本は相手との対峙、イスラムは神との対峙」だからか?と分析してみたりする。うむ、どうだろう?
最初の頃は家族の一挙手一投足を観察しながら食べてました。
そして気づいた法則その壱。それぞれの陣地がある、ということ。目の前の自分の陣地のみを食べる。
手を伸ばして、他の陣地のものを食べない。たとえ自分の陣地外に美味しそうなキャベツがあっても、手をぐいぐい伸ばして食べてはいけない。
うまくできているなぁと思うのは、食べ始めてしばらく経つと、自分の陣地にキャベツを擁してる人が「あなたもキャベツ食べなよ」と、隣の陣地に投げ入れてくれる。そうやって、みんな自分の陣地の具を他の陣地に分け与えていく。
そして、肝心なのが、肉。最後まで肉には手をつけず、大きな肉をみんなで譲り合った後、結局年長者が皆に肉を分け与えて食事をシメる、といった感覚です。
聞けば、同じ北アフリカのモロッコでは、ちょっと礼儀が違う。
それぞれの陣地があるのは同じだけれど、陣地の具を交換することはないそうです。たとえ自分の陣地に具が少ないとしても、それは「アッラーの思し召し」ということになるんだそうです。
日本のお箸の作法を教えると、「何故!?」とよく聞かれます。「どうして迷い箸が駄目なの?」とか。
こっちに来て感じるのは、何事も日本は相手との対峙、イスラムは神との対峙なんだなぁということ。
わたしたちは相手の方が不快にならないように、無作法ははしたないこと、相手の意に重きを置くというか。
イスラムは常に神の絶対的な存在を感じて、畏怖の念を持つ。相手に何かをしてもらったときでも、感謝の気持ちは神に捧げられる。「神様のおかげです」と。
この違いはとても大きい。本当に大きい。色々な場面でこの違いが顕著に出る。
大切な約束をするとき「神様が望むなら行くよ」と言われると、目の前にいる自分に失礼じゃないかと思ってムカッとくる(あなたが来ようと思えば来れるでしょうが!)。変な三角関係が生まれます(笑)。
チュニジアに道徳的教育が少ないのは「何事も日本は相手との対峙、イスラムは神との対峙」だからか?と分析してみたりする。うむ、どうだろう?
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