素朴な毎日、感じたこと、考えたこと、ひとりごと、備忘録
Posted by chika - 2007.12.22,Sat
2007年12月19日と20日は、羊の犠牲祭でした。
この日はヒジュラ暦でいうと12月10日、巡礼の最終日にあたります。この時期サウジのメッカに巡礼に行くことはイスラム教徒の5つの義務のひとつであり、その巡礼の最終日を世界中のイスラム教徒が祝います。
なぜ犠牲を捧げるのかというと「神が信仰心を試すため預言者ムハンマドに対し、息子を犠牲に捧げるように言われた。ムハンマドがしぶしぶ応じようとすると、神はその信仰心を称え、換わりに子羊を犠牲に捧げるよう告げられた」という故事にならっているそうです。
犠牲祭の準備として、12月に入ると各家庭で羊を1頭~2頭購入し始めます(捧げるのはオスのみ)。犠牲祭の日までは、「羊買った?」が挨拶代わり。市場は羊と人の群れ、群れ・・・。大きく太った羊ほど高値で取引きされます。
みんな買っていく羊を見ると、2万円~3万円が一般的なようです。でもこっちでの家賃約1ヵ月分に相当するので、大きな買いもの。もちろん買えない家庭もあるので、屠したあとで肉や内臓を少しずつ選んで、彼らに差し入れする習慣もあります。
犠牲祭の1日目、早起きしてママの家へ行くと、羊がお出迎え。顔がかわいい~!光GENJIみた~い(紐がね)! 小さいけれども若い分、肉の臭味がなく、病気である可能性が低いそうな。

そして一歩外に出ると、羊のお披露目会、決闘会が行なわれていました。「うちのは大きいだろう!」「うちの方が強い!」と。予想以上の勢いでぶつかり合うので、見ててハラハラ。というのも前日、近所の子どもたちが集まって決闘をして遊んでいたとき、死んでしまった羊がいたから。イスラム教上、神の名のもとに頚動脈を切られた羊でなければ食べてはいけないので、決闘や病気で死んだ羊は捧げることも出来なければ、食卓にも上がらないそうです。

この日の朝、モスクではいつもよりもたくさんの人々が、いつもより数回多くコーランを読みます。そのコーランの音がやんだら、屠殺の始まり。
屠すのは男性の仕事で、女性がやることは禁じられています。ママの家庭は女性ばかりなので、肉屋さんが回ってくるのを待ちます。
しばらくすると男性2人、大きな包丁1本と小さなナイフ1本を携えて登場!かっこい~。2本だけでさばけちゃうんですね。
「神の名のもとに」との言葉と同時に頚動脈をザクッと切る。もがくこと数分。最後の力を振り絞ってバタバタすると、動かなくなりました。羊の苦しみを最小限にして絞めているのが、見ていて分かります。
その後、足の付け根に切り目を入れて、空気を吹き込む。すると羊が風船みたいにパンパンになります。こうすると、皮をはがしやすくなるそうです。逆さにして吊るして、どんどん皮を剥いでゆく。剥ぎ終えたら頭をはずし、内臓を取り出す。
解体が終わるまでの時間、約1時間弱。男性2人は、次の家へと走ってゆきました。
その後、内臓を洗う係に任命されたので、教わりながらチャレンジ。いや~、すごい。羊の食べた草が、どんな過程を経て小さなポロポロうんちになるかを勉強できました。そして最後の最後まで栄養を吸収しようとする体内の仕組みにも圧巻。生きた生物の授業。
そして腸を裏返す方法、ゴシゴシ洗う方法も会得。なんだって綺麗にすれば食べれるんですよね~。臓物ひとつひとつを大切にいただく、これもいい経験です。写真は洗った後の内臓。新鮮なのでレバーなんかは生でいただきたいところですが、ぐっと我慢。

其の弐に続く。
この日はヒジュラ暦でいうと12月10日、巡礼の最終日にあたります。この時期サウジのメッカに巡礼に行くことはイスラム教徒の5つの義務のひとつであり、その巡礼の最終日を世界中のイスラム教徒が祝います。
なぜ犠牲を捧げるのかというと「神が信仰心を試すため預言者ムハンマドに対し、息子を犠牲に捧げるように言われた。ムハンマドがしぶしぶ応じようとすると、神はその信仰心を称え、換わりに子羊を犠牲に捧げるよう告げられた」という故事にならっているそうです。
犠牲祭の準備として、12月に入ると各家庭で羊を1頭~2頭購入し始めます(捧げるのはオスのみ)。犠牲祭の日までは、「羊買った?」が挨拶代わり。市場は羊と人の群れ、群れ・・・。大きく太った羊ほど高値で取引きされます。
みんな買っていく羊を見ると、2万円~3万円が一般的なようです。でもこっちでの家賃約1ヵ月分に相当するので、大きな買いもの。もちろん買えない家庭もあるので、屠したあとで肉や内臓を少しずつ選んで、彼らに差し入れする習慣もあります。
犠牲祭の1日目、早起きしてママの家へ行くと、羊がお出迎え。顔がかわいい~!光GENJIみた~い(紐がね)! 小さいけれども若い分、肉の臭味がなく、病気である可能性が低いそうな。
そして一歩外に出ると、羊のお披露目会、決闘会が行なわれていました。「うちのは大きいだろう!」「うちの方が強い!」と。予想以上の勢いでぶつかり合うので、見ててハラハラ。というのも前日、近所の子どもたちが集まって決闘をして遊んでいたとき、死んでしまった羊がいたから。イスラム教上、神の名のもとに頚動脈を切られた羊でなければ食べてはいけないので、決闘や病気で死んだ羊は捧げることも出来なければ、食卓にも上がらないそうです。
この日の朝、モスクではいつもよりもたくさんの人々が、いつもより数回多くコーランを読みます。そのコーランの音がやんだら、屠殺の始まり。
屠すのは男性の仕事で、女性がやることは禁じられています。ママの家庭は女性ばかりなので、肉屋さんが回ってくるのを待ちます。
しばらくすると男性2人、大きな包丁1本と小さなナイフ1本を携えて登場!かっこい~。2本だけでさばけちゃうんですね。
「神の名のもとに」との言葉と同時に頚動脈をザクッと切る。もがくこと数分。最後の力を振り絞ってバタバタすると、動かなくなりました。羊の苦しみを最小限にして絞めているのが、見ていて分かります。
その後、足の付け根に切り目を入れて、空気を吹き込む。すると羊が風船みたいにパンパンになります。こうすると、皮をはがしやすくなるそうです。逆さにして吊るして、どんどん皮を剥いでゆく。剥ぎ終えたら頭をはずし、内臓を取り出す。
解体が終わるまでの時間、約1時間弱。男性2人は、次の家へと走ってゆきました。
その後、内臓を洗う係に任命されたので、教わりながらチャレンジ。いや~、すごい。羊の食べた草が、どんな過程を経て小さなポロポロうんちになるかを勉強できました。そして最後の最後まで栄養を吸収しようとする体内の仕組みにも圧巻。生きた生物の授業。
そして腸を裏返す方法、ゴシゴシ洗う方法も会得。なんだって綺麗にすれば食べれるんですよね~。臓物ひとつひとつを大切にいただく、これもいい経験です。写真は洗った後の内臓。新鮮なのでレバーなんかは生でいただきたいところですが、ぐっと我慢。
其の弐に続く。
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